中庭(椿の森)について
日本最古の道後温泉は全国でも珍しい加温も加水もしていない源泉かけ流しで、きめ細やかな肌をつくる泉質は「美人の湯」といわれています。聖徳太子や女帝の斉明天皇など、古の皇族の方々が健康や美容・不老長寿を願って来訪された伝説がいくつも残っています。聖徳太子が596年に来浴されたときには、「霊妙な温泉と椿の美しさ」を讃えて石碑を建立されたといわれ、これに由来して、中庭の「椿の森」と「聖徳太子碑(温泉碑)」は再現されました。
道後温泉別館 飛鳥乃湯泉では、飛鳥時代の建築様式を取り入れた湯屋で浴衣(よくい)の「湯帳(ゆちょう)」を着衣したまま入浴体験もできるなど、「太古の温泉」を満喫できます。
- 聖徳太子が建立した温泉碑を再現
- 湯の川には道後温泉の源泉が流れる
飛鳥乃湯泉の名称由来
「温泉」という表現が日本で初めて文字で登場したのが奈良時代で、この頃、「温泉」といえば、「道後温泉」のことを指していたといわれています。「温泉」という文字は、747年 法隆寺加藍縁起資材帳(ほうりゅうじがらんえんぎしざいちょう)(財産目録)の中で、「伊豫國温泉群」と記されたのが最初であるといわれています。文字においても、「道後温泉」は日本最古の「温泉」であるということになります。古事記や日本書紀(720年完成)など、それまでの日本の古典の中に「温泉」という文字は使われていませんでした。「温泉」を表現する文字は、「湯」「湯泉」「温湯」で示しており、いずれも「ゆ」と読ませていました。日本書紀の中の道後温泉は、「石湯」「伊予湯泉」「伊予温湯」と表記されています。聖徳太子が来浴された飛鳥時代には、「温泉」の文字はまだ使われていなかったことから、道後温泉別館の名称を「飛鳥乃湯泉(あすかのゆ)」としました。
飛鳥乃湯泉の入口に掲げられている銘板の書は、道後温泉が聖徳太子と法隆寺に深い縁があることから、法隆寺の大野玄妙(おおのげんみょう)管長に書いていただきました。
- 法興6年(596年)10月、聖徳太子が道後来浴
- 法隆寺の大野玄妙管長が書かれた名称
湯真珠の真珠について
湯真珠は宇和島産アコヤ真珠です。道後は湯真珠の取り扱いにあたり、全国真珠生産第1位を誇る宇和島市と連携のもと、真珠会館の協力で真珠を取り寄せています。
真珠は神秘性を重視し、生まれたままの状態がいいということで、あえて無穴無加工にしています。そのため貝との接触部分に傷のようなものがありますが、これは自然のなかでできたものです。
アルカリ泉質の温泉を真珠にかけることで、真珠の変色が気になる方もいますが、祈願後すぐにハンカチで拭き取り、さらに帰宅後きれいな水で洗って保管していただくと問題ありませんのでご安心ください。それでも気になる方は、お湯をかけずに祈願してください。
- 道後と宇和島市の連携セレモニーで宇和島市の岡原市長と記念写真。